役割は永遠ではない。
妻という役割は、夫の他界と共に終わります。母親という役割は、子供の独り立ち共に、ほぼ終わります。部長という役割は、定年退職と共に、急激に終わります。
一つの役割が永遠だと信じて、ただ、それだけにエネルギーを注いでいた人が役割を喪失すると、エネルギーを向ける対象を失って、燃えつき症候群や空きの巣症候群におちいってしまいます。その落ち込みは激しいのです。
哀しいことに「この世は、さよならの連続なのかもしれません」でも、終わるからこそ、終わりを意識して「今、ここ」に集中して生きることも可能なのです。矢のごとく、過ぎ去って行く瞬間だからこそ「今、ここ」に気持ちを集中することをゲシュタルト療法は求めます。
すべてに終わりがあり、終わりを意識しないで、人と人との役割も永遠だと思っている人ほど、瞬間、瞬間の時を、人とのふれあいを、味わって生きていません。ですから、突然の喪失感に苦しむのです。
そして、失うものに執着するのです。
「この母より、お嫁さんのほうがいいのね」「こんなに会社のために生きてきたのに••••」「まだ、やり残しているのに••••」
今、体の中にあるこの命にも役割があり永遠ではないのです。今日という日にも、たくさんの細胞が役割を終え、そして新しい細胞が生まれます。今日という一日にも、体の中には、たくさんの別れがあるのです。その生ききった細胞に報いる一日を、僕たちは生きなければならないのです。